建造物・庭園

現在の境内にございます種々の建造物や、禅の心を表す枯山水をはじめとする当寺の庭園、平安時代からの伝承が残る青葉の竹林をご紹介致します。
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建 造 物

江戸時代後期の境内図

こちらは、江戸時代後期の古地図になります。
天神社、稲荷堂、弁財天堂、山の神社、勝手神社などの現在はないお堂と、土蔵、鳩蔵、茶席の建造物が記されていることがわかります。

現在のお堂周辺

各所説明

  • 参道
    山門前にある25体の弘法石像が並ぶ参道です。
    これらの石像は明治初頭、弘法信仰により地域の人々が寄進されたものでございます。
    現在も毎月21日に弘法会を執り行っており、お参りが絶えることがございません。
  • 新参道
    檀信徒の方々に寄付を募り、新しく新設された新参道です。
    現在寺院への出入りはこちらからとなっております。
  • 山門
    棟に乗っているのは鯱(しゃちほこ)です。
    棟札(むなふだ)には文化13年(1816)再建と記されており、今から200年ほど昔に、改めて建てられたものであることがわかります。
  • 鐘楼堂しょうろうどう梵鐘ぼんしょう
    こちらは平成18年11月に再建・再鋳されたものでございます。
    旧梵鐘は、江戸時代の名僧 白隠禅師の銘が入った名鐘でございましたが、残念ながら太平洋戦争に際して供出いたしました。
  • 本堂
    この本堂は、昭和54年11月、鉄筋造りで再建されたものでございます。
  • 地蔵堂
    地蔵菩薩像をお祀りしており、水子供養・先祖供養・その他の供養を行っております。

庭 園

南庭 枯山水かれさんすい

本堂南側、鐘楼堂周りの庭園です。
枯山水とは、水を一切使わず砂や石だけで山や水の景色を表現した日本庭園のことです。
石を様々なものに見立てて、禅の世界を表しております。
また、裏手には紅葉をはじめ、椿つばき紫陽花あじさい蠟梅ろうばいといった季節の花木があり、四季折々のいろどりを見せてくれます。

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枯山水 解説


  • 蓬莱山
    山より沸き出でた水が大海に流れ行く様を表しております。
    実際に水が湧き出るようになっております。
  • 船石
    波紋を起こして進む船に見立てており、山(有なるところ)から海(無なるところ)へ帰る様から、諸行無常を表しております。
  • 鶴島(左)・亀島(右)
    長寿の象徴である鶴と亀を表しております。

南庭 灯籠・水琴窟など


  • 灯篭とうろう
    鎌倉時代の作です。
    火袋などに仏像を彫った、珍しいものです。
  • 水琴窟すいきんくつ
    蹲踞つくばいには鎌倉時代の四方仏しほうぶつ手水鉢ちょうずばちをつくっております。
    竹筒に耳を当てますと、水の滴る音が琴の音のように聞こえます。
  • 手水鉢ちょうずばち(左)・鬼瓦(右)
    手水鉢ちょうずばちは、奈良時代の礎石の上に、鎌倉時代の宝篋印塔ほうきょういんとうの一部を用いて造られたものでございます
    鬼瓦は、嘉永かえい4年(1851)の銘が記されている、旧本堂の鬼瓦です。
    16弁の菊の紋が入れられてございます。

本堂前庭

本堂前の庭園です。元享げんきょう2年(1322年)の銘が彫られた、九重塔くじゅうのとうそびえ立っております。
また、塔の隣には桜があり、毎年満開の花が咲いて春の訪れを感じさせてくれます。

瑞雲庭ずいうんてい(中庭)

三石を三尊仏に見立てた庭園にて、山と海、黒と白、有と無というように表裏一体、対比した世界を表すとともに、狭い空間に自然の世界を表したものでございます。

 瑞雲庭 解説


  • 三石
    三尊仏を表しております
    また苔と黒石と白砂がそれぞれ、
    山と海、黒と白、有と無を表しております。
  • 宝塔
    大日如来を象徴する、鎌倉時代の宝塔でございます。

青葉の竹林

たいら敦盛あつもりが所持した青葉あおばふえはここの竹で作ったとされる、伝承の史跡でございます。

白子郷土史しろこきょうどし』に以下の記述がございます。

敦盛秘蔵の「青葉の笛」は、龍源寺裏の藪中より切り取りし竹をもって作りしものなりと伝説あり。
白子はもと
古市ふるいちと称し平家の水軍の1つとなる白児しろこ党の根拠の地にして白児党の名が古市に変りて白子となりし程にて白児党の南方の武将は乙部おとべ(津海岸地帯)の弥七、北方の武将は日永ひながの十郎、中部の武将は、黒田の後藤平四郎と云うか如きことも軍記類ぐんきるいによって考えられ伊勢古市の武将伊藤景綱かげつなは白児党の総帥たるべき人物ならんと思わる。
とにかく平家に縁故深き地なれば前述の伝説を無稽むけいの浮説として捨てることが出来ない