仏像・寺宝

龍源寺本堂・地蔵堂にお祀りしております仏像、及び所蔵する寺宝をご紹介致します。
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仏 像

本堂

本尊
  • 本尊拈華釈迦如来ねんげしゃかにょらい像(中央)
    拈華の釈迦像といわれるように、ある時霊鷲山りょうじゅせんにてお釈迦様が説法を説かれる際、ただ無言で金波羅華こんぱらげ持って、大衆に示した(拈華)、その時の姿がとられています。
    その様子に大衆が意を解せずにいた折、ひとり
    摩訶迦葉まかかしょうが微笑した。それを見てお釈迦様は
    正法眼蔵しょうぼうげんぞう涅槃妙心ねはんみょうしんあり」として、迦葉に仏法が受け継がれたとされました。
    まさに以心伝心の禅の極地を示しております。


  • 脇仏:迦葉尊者かしょうそんじゃ像(右)
    頭陀ずだ(衣食住にとらわれず、清浄に修行する人)第一の釈迦十大弟子

  • 脇仏:阿難尊者あなんそんじゃ像(左)
    多聞たもん(釈迦の説法を最も多く聞いた人)第一の釈迦十大弟子。

地蔵堂

  • 木造地蔵菩薩じぞうぼさつ 半跏はんか(鈴鹿市指定文化財)
    地蔵堂の本尊で、像高31.8cm。桧材の寄せ木造りです。
    頭は丸く白亳相びゃくごうそうで、玉眼ぎょくがん(水晶の眼)をしています。
    法衣を着け、左手に宝珠ほうじゅを、右手に錫杖しゃくじょうを持ち、台座上に左足を踏み下げてすわっています。
    像底部に嘉慶かきょう2年(1388年)の墨書銘があり、
    南北朝時代の作と考えられています。
  • 天神てんじん
    “学問の神様”菅原道真すがわらのみちざね公の像です。
    こちらは室町時代の作になります。
    昔は境内にお堂があり、多くの方が参拝されて

    いました。
  • 弁財べんざいてん
    七福神の1人で、財産・芸事・水・農業・安産等の神様です。
    昔は境内の弁天池に祀られていました。
  • 閻魔王えんまおう
    地獄の裁判官としてよく知られている“閻魔王”。一説には地蔵菩薩の化身ともいわれており、参る者の罪を許す仏様です。
    こちらは江戸時代初期の塑像そぞうになります。
  • 弘法大師こうぼうだいし(空海)
    参る者の様々な願いを叶え、救って下さる
    仏様です。
    昔は境内に弘法堂があり、当寺は伊勢西国82番の札所でございました。
  • 稲荷社いなりしゃ
    商売繁盛の神様と知られている狐の神様、
    “お稲荷さま”です。
    かつて境内に稲荷神社があり、以来今日まで

    お祀りいたしております。
  • 摩耶夫人まやふじん
    お釈迦様の母親であり、水子供養・こどもの
    成長・安産・女性に対する諸祈願の仏様でいらっしゃいます。
    摩耶婦人の仏像は日本に数体しかございません。
    そのうちの1体であるこちらは、江戸時代初期の塑像そぞうとなります。

寺宝

涅槃図ねはんず(鈴鹿市指定文化財)

1.309m×1.08m  鎌倉時代作
絹本著色けんぽんちゃくしょく涅槃図。
沙羅双樹さらそうじゅの間に、釈迦が横たわる様子を表しています。
両手を体につけ、身体を真っすぐに伸ばし、足先を「ハ」の字形にしている様子を右側面から描かれたこの涅槃図は、平安時代の古式を伝えるものでもございます。

江南禅師こうなんぜんじ頂相ちんそう

戦国時代作:天文てんぶん23(1554)年の賛あり
絹本著色けんぽんちゃくしょく
龍源寺開山 江南和尚の全身を描いたものでございます。
顔貌や着衣をかたどる墨線は、こなれた、のびやかな筆行を示し、衣の装飾も微細を極めております。
総じて16世紀中葉ちゅうようのものとして、すぐれた作行きを示すものといえるでしょう。

白隠禅師はくいんぜんじ墨蹟ぼくせき

江戸時代:宝暦ほうれき8年(1758)作
臨済宗中興ちゅうこうの祖と賞される白隠禅師が、龍源寺開山・江南禅師二百年忌を修された時の香語こうごでございます。

紀州家 歴代当主の御位牌

八代将軍吉宗よしむね公の出自としても広く知られている、徳川御三家の一家・紀州徳川家の歴代当主のご位牌でございます。
江戸時代、白子には紀州家の代官所がございましたことから、代官が朝の課として龍源寺に参詣しておりました。